こんにちわ、かなこ(@MinmachiBuho)です。
幼少期は保育士になりたいと夢みていた私ですが、いつの間にやら理学療法士として働いていました。
こちらの記事でも紹介していますが、理学療法士としてグアテマラという中米の小国でボランティアをしていた経験があります。

つらいことはたくさんあったけれど、幸せな2年間でした。
たくさんの子どもと家族に愛してもらいました。
日本でも、4年間理学療法士として働いていて、障害児や病児、未熟児のお子さんとそのご家族と関わる機会がたくさんありました。
今日は、私の行動の原動力になっている考え方について、皆さんに聞いて頂けたらと思います。
きっかけは、「理学療法士としての自分」の限界
うすうす感づいていた、自分の無力さ
日本で働いているときに、障害児の入所・外来施設で働いていました。
ここが新設の施設だったので、開設と同時に利用希望者が殺到。外来はあっという間に埋まってしまった。
ご両親が言っていました。
「もっとリハビリをやってくれる場所がほしい」「もっと頻度を上げたい」
頼りにされるのは嬉しい一方、そう思わざるをえない状況を思うと心が痛かった。感じてはいけないことを、どうしても考えてしまった。
「私が関わることで、この子の人生は変わるのだろうか」
当時は技術を磨く、努力を続けることしかできなかった。
自分の知らないところに、現実があった
グアテマラは小国ですが、村落部にいくとさらに田舎です。
美しい山々と自然、きれいな民族衣装に囲まれた、私の大好きなくに。
そんな片田舎に、私の知らない現実があった。
知人の紹介で出会った、20歳の脊損の女性。どうして自分の足が動かないのかわからない。尿道カテーテルを、いつまでつければいいのかわからない。
部屋の脇にポンと置かれたベッドに寝かされ、痛みに涙をし、足にはハエがたかっていた。
「マッサージをすれば治ると言われたの。私はいつ歩けるようになる?」
たくさんリハビリをすれば、いつか…私はここに限られた時間しかいられないし、来れたとしても月に1度。そんな無責任なこと言えない。
お医者さんに聞いてください…日本では通用するこの合言葉も、彼女の前で言えなかった。彼女にはもう主治医はいない。
別の日、彼女の家から2,3ブロック離れた場所に住む親子を紹介された。
「5歳なのにまだしゃべらない」そう言われて出会ったその女の子は、言葉どころか首も座っていなかった。
「…医療者に診てもらったことは?」 —-「保健所の看護師にいつも見てもらっているわよ。彼女たちは何もわからないの」
ある町の、たった数十m離れたところに、医療から完全に切り離され、自分に何が起こっているかわからず苦しんでいる人たちがいた。
別の日、日本の恩人に聞いた。
「日本でも、街中から離れればそういう状況はたくさんある。」
私には知らないことがたくさんあった。
私は理学療法士としての仕事が大好きだった。今でも大好きだ。
ただ、「生まれた場所や暮らす環境が違う」だけで、こんなにも自分の愛する仕事が無力になることを、そのとき思い知った。
社会の側からの”リハビリテーション”
”障害”をつくるのは誰か
グアテマラにいるとき「もっと専門家を増やさなければ」「セラピストが来てくれさえすれば」そんな言葉を聞く機会がたくさんあった。
ただ、私は知っていた。日本では今や10万人にもなる理学療法士。そんな状況でも
「もっとリハビリをやってくれる場所がほしい」「もっと頻度を上げたい」と思うのだということを。
このやり方ではないのでは
そう感じるようになりました。
身体や知能に障害があり、それで社会的な不利益を被る…それは
社会とのギャップに問題があるんじゃないの?
そのギャップを埋めることが、コミュニティのひとに障害とはなんぞや、一人ひとりに出来ることはたくさんあるんだよ!ということを
知ってもらいたいと思うようになった。
私は私のやり方で
やり方を変えた。一人ひとりに向き合う「アリの眼」と長く広い視点をもつ「鳥の眼」、そのどっちも持とうと決めた。
コミュニティのひとたちに、「知ってもらう」ことから始める。
彼らには、信じられないほどの”愛”があるから。あとは”知る”ことだけだ。
私がいた2年間で、彼らが何か大きく変わったかといったら、そんなことはない。それは傲慢だ。
だけど少なくとも、私のなかの「モヤモヤ」は形になりつつあった。
一人じゃない。みんなで一緒に変わることが出来る。
一人も”社会的弱者”にしない街へ
SDGsのテーマとして「誰一人取り残さない」という言葉がある。
障害者や子ども、いわゆる社会的弱者と言われるひとたちに、世界のひずみは集まる。
だったら、まず彼らから笑顔になれるような社会を作っていけば、どんな人でも生きやすくなるのではないか。
子どものちからは偉大。子どもが笑っている社会は、とっても明るくなる。笑顔の伝染が起きる。
だから、障害や病気をもつ子ども、その家族がを含んだ「すべての子育て」を支えたい。
それが、私の目標。
大きなことは出来なくても、アリの眼の眼を忘れずに。
大したことはまだ出来ないけれど、一歩ずつ。まずは、伝えることから始めよう。