こんにちわ、かなこ(@MinmachiBuho)です。
私は、埼玉某蔵づくりの街並みが有名な街で、4年間理学療法士として働いていました。
そこで、一念発起いわゆる脱サラならぬ脱白衣をし、青年海外協力隊として活動しました。
(知る人ぞ知る秘境の村、グアテマラ・トドスサントスにて、民族衣装のおじさんと)
いまや理学療法士は10万人。専門職種とはいえ、今後のこと、キャリアの積み方、このままでいいのか…色々悩む。
今回は私と同じく悩めるリハビリ職種の皆さんへ、「私が白衣を脱いだ理由」を伝えたいと思います。
リハビリでは障害は”治せない”から
障害ってなんだろう・・・
理由は単純です。
患者さんを”治す”ことに対し、自分の限界を感じてしまったから です。
「4年しかやってないのに生意気な!それは実力不足だ」と石を投げつけられそうですが
うっせー!そういう職人気質なところが興味わかねえんだよ!!けっ!
と一蹴しようと思います。
うすうす感じていた違和感
いけません。口が悪くなりました。
そもそもなぜそのように感じてしまったか、そのきっかけは1年間働いていた重症心身障害児施設での、保護者の方々の言葉でした。
そのお母さんは、いつもリハビリが出来る場所を探していました。
一体何のために探しているの…?
「A病院で明日、ここで3日後、あとのところはもういっぱいでリハビリ入れられないの。もっと頻度増やせない?」
もちろん、必要としてくれることはうれしいです。
ただ、「リハビリのためにリハビリをする」ことへの違和感が、私のなかで少しずつ大きくなっていきました。
協力隊へ。そして思い知る。
このモヤモヤを払拭するため、というのも協力隊に参加した理由のひとつです。
結果、
世界は広く、厳しく、そして私は無知だった と思い知ることになりました。詳しくはこちらも読んでね。
どんなに腕を磨いて、身体の硬さをとり、力をつけ、歩くバランスが多少よくなったとしても、
痛みをとる技、首を座らせる手技がどんどんうまくなったとしても
だからなんだというのだろう。世界の端っこには、リハビリの「リ」の字も知らず、自分に何が起きているかも知らず 先端技術の恩恵をちらりとも受けられないひとがいるのだと。
今まで感じていた違和感が、ストンと落ちた瞬間でした。私がやりたいことは、先端技術の先っぽにいること、じゃない。
そして私は白衣を脱いだ
協力隊が終わってから、病院に戻るのをやめました。
戻ろうと思えばいつでも戻れるし、それに
病院の中に、私のやりたいことはないと気が付いてしまったからです。
”障害”を生むこの”社会”
障害とは、身体の機能や精神面・知的に問題があること、と認識されているのが一般的だと思いますが
”社会との個人の能力、希望とのギャップが障害を生む”という考え方を「障害の社会モデル」といいます。
同じ障害を取り除こう、軽くしようとするリハビリなら、社会自体を新しくするってアプローチもありじゃない?
いまはそう考えています。アプローチの方向はまるで違うけど、白衣は脱いでしまったけど、私はまだ”理学療法士”です。
若者よ、白衣を脱げ、出来ることはたくさんある
今の職場や、将来、自分のやっていることに自信が持てなくなったとき
「自分はリハビリしか勉強してきてないし、ほかのことは出来ないから・・・」とあきらめないでほしい。
理学療法士としての経験は、どんな場面でも活かせる。
あなたが一生懸命向き合ってきた命ひとつひとつが、あなたにいろんな事を教えてくれています。
一緒に、いろんな方向から若き理学療法士会を盛り上げよう!共犯者求ム!!