障害をもつことは罪?途上国における価値観の違い

海外事情

こんにちわ、かなこ(@MinmachiBuho)です。

 

私が住んでいたグアテマラなどの途上国では、
地域によっては近代医学よりも宗教的な感覚が優先して大事にされることがあります。

 

病気になったら医者に行くと同じ感覚で、呪術師に祈祷をお願いしたり恋愛相談まで担当する呪術師もいるそうです。幅広い取り組み。

そんな地域性や宗教観のなかで「障害をもつ」ことを神様からの罰だ、ととらえる人たちもいるんです。

親が罪をおかした証拠?

日本でも、「悪いことするとバチが当たる」「因果応報」などの言葉がありますよね。

宗教観によっては「親(もしくは前世)で悪いことをしたからバチがあたり、障害の子が生まれた」と言われることがあります。

とくに情報が入りにくい農村部などでは、たとえば「ダウン症」なんていう言葉は知られていないので、「フニャフニャの子どもが生まれたぞ!こいつはおかしい!神の怒りだ!」みたいなことにも成りかねない、ということです。

 

一方、猛烈な保護の対象になることも

一見矛盾してみえるこちらの2点ですが、「宗教観」という言葉で考えると同じ現象といえます。

特に私が済んでいた地域はキリスト教信者が大多数だったのですが、”隣人を愛せよ”の教えに従い、持たざるものとして生まれる障害児者に対して協会付きの病院が運営されていたり、寄付がすごく充実して入ってくる、などの状況も見られました。

”障害”の捉え方は社会によりさまざま

今回は簡単に宗教観と障害の関係についてまとめました。

この話は実は本当に複雑でやっかい…

 

「この子は障害があるからリハビリを受けさせよう!」と言っても

「いや、これは神様からの罰だから家の中に置いておく、外には出せない!」となってしまう可能性もあるからです。

価値観は人や地域によってさまざま。尊重しつつ、最善の方法をとっていきたいです。