こんにちわ、かなこ(@MinmachiBuho)です。
私は2015年から主にラテンアメリカ圏(=スペイン語圏)で生活しています。
母国語以外の言語に囲まれて生活するなかで、
「あれ?私って発達障害だ」
と感じるようになった場面が多くありました。
「海外に行ってなぜ発達障害?」
私自身の経験からその理由を紐解いてみたいと思います。生きづらさに対応するヒントになれば。
段階的に発達障害になる
最初の数か月はそもそも「何を言っているのか全く分からない状態」で過ごします。ボディランゲージを駆使して何とか1/100くらいを読み取っている状態です。産まれたての赤ちゃんのようなもの。この時期に笑顔で優しくされると非常にありがたい。
そのあと、「何となく理解できるけど、うまく言葉で返せない」段階が現れます。いわゆる失語症に近い状態でしょうか。わかっているだけにもどかしい時期です。
そして、ほぼ聞き取りやはなし言葉に問題がなくなってころに完成するのが、この「発達障害」状態です。
私は結局この段階を抜け出すことが出来ていません。
「話せる」「聞き取れる」が出来ても、言葉の意味を「理解する」ことが出来ていない状態です。
空気が読めない
この段階での主な特徴として、
- 相手の嫌味に気づかない
- 建前で言われたことが理解できず、嘘をつかれたと感じる
- 周囲の人が笑っている理由がわからない
などですかね。
これは言葉の理解の問題もあったのですが、同僚に
「またすぐ戻るわね」と言われたのでその言葉を信じてずっとその場でおとなしくまっていたことがあります(戻らなかった)。
言葉の背景にある”文化”や”意味づけ”が理解できないため
このような現象は、言葉自体の理解というよりは、そのように言うに至った”文化”や”意味づけ”の理解が難しいためと考えられます。
代表的な例をとると、京都人の褒め言葉とか、イギリス人に「interesting」を使うと「よくそんな面白いことやってますねええ?」的な意味になるというものです。
そこまで大袈裟でなくても、ネイティブとして話している言語では気づかないような「隠れた意味」が、非母国語話者には大きな壁になります。
私は、この状態がいわゆる「発達障害」の方々にも起きているのだなぁと肌で実感することが出来ました。
意味がわかっても、心が通じない。同じことで怒ったり、笑ったりできない。いや、なかなかつらい経験でした(すぐ諦めましたけど)。
https://minnanomachibuho.com/2018/08/13/nonecessary-friendship/
出会った人の顔を覚えられない
「顔と名前を覚えるのが苦手で…」という発達障害の方の訴えもよく聞きますが、私にもモロにこれが起きました。
私は日本では一回会えばパパっと顔や名前を覚えることが出来るのが特技でした。
一方海外では、「あれ、この人どこで会ったっけ……???」な人に話しかけられるのはしょっちゅうです(日本人はわかりますよ)。
むこうからしたら珍しいアジア人なのでそりゃ一発で覚えられるでしょうけど、こっちからしたらみんな同じ顔に見えますからね!
みんなこう見える。
人の顔の特徴を識別する、というのも、高い能力+経験が必要なんだと実感しました。
さっき聞いたこと・読んだことを忘れる
こんなことも外国語圏にいると起こります。
一生懸命話を聞いていても、本を読んで理解しようと集中していても
ちょっと前に読んだことや聞いたことは思い出すのが難しいんです。
もちろん日本語ならそんなことは起きないので、記憶力の問題ではありません。
私はおそらく、ワーキングメモリーのキャパ不足から来るんではないかと感じています。
いま何を聞いているか、読んでいるかに集中しすぎて、それを保持するところまで脳みそが頑張ってくれません。
だから、「え?そんなこと言われた?」とか、「本に出てくるこの登場人物誰だっけ?」となってしまうんです。
まぁこれに関しては、語学力そのものが付けば改善していくんだろうとは思います。
それでも生きづらくはないんです
私は日本にいるときこそ凸凹が少ないタイプだと自覚していますが(多分)、外国で生活している間は、↑に書いたような「発達障害」的な症状を抱えています。いまだに。
ただ、その症状ゆえの「生きづらさ」というのはまったく感じません。
なぜならみんな
- 空気読まないし
- 自己主張強いし
- 他人のこと気にしない
- 対して約束守らない
からです。笑
日本のようにハイコンテクスト(話ことばより文脈等に重きを置く)文化の国で”生きづらさ”を感じる人は、
広く世界に目を向けるのも手かもしれません。