【感想】神さまを待っている(畑野智美)ー貧困女子の現実を考える

読書感想文

こんにちは、かなこ(@MinmachiBuho)です。

 

今回は、タイトル・表紙の女性のまなざしに惹かれて一気読みしたこちらの本を読んだ所感をまとめていきます。

 

著者である畑野智美さんの実体験を基にして作られたこちらのお話。テーマは「貧困女子」です。

 

なかむら
かなこ

一部ネタバレも含みますのでご注意を!

日本における貧困の実態って??

本編の感想にうつる前に、日本の貧困のデータを実情を簡単におさらいしてみましょう。

 

「貧困」という言葉を聞くと、どうしてもアフリカなどの発展途上国で、飢餓に苦しむ幼い子どもたち、というイメージが先行するのではないでしょうか。

日本はインフラが基礎教育が普及しているので、そういった絶対的貧困に苦しむ人はほとんど見られません。それは先人の努力の結晶と言えるでしょう。

一方現在問題になっているのは相対的貧困という状況です。

OECD(経済協力開発機構)では、等価可処分所得世帯可処分所得を世帯人数の平方根で割って算出)が全人口の中央値の半分未満の世帯員を相対的貧困者としている。相対的貧困率は、単純な購買力よりも国内の所得格差に注目する指標であるため、日本など比較的豊かな先進国でも高い割合が示される。  コトバンクより

 

平成27年における日本の相対的貧困は15.6%、子どもの貧困率は13.9%、シングルペアレントの場合はグッとまして50.8%となっています。これは多いと感じますか?(参考

日本の平均年収は上がっている!!というニュースが時々流れますよね。戦後最大の好景気とか。でもどうしてこういう状況が生じるのか。

それは賃金の格差から生じるんですね。

 

平均年収は545万円ですが、中央値(一番この額の年収を得ている人が多い)は427万円となっています。

こう見ると、日本のマジョリティは平均年収よりも低い収入だということがわかります(参考)。

かくゆう私も、開発コンサルタントとして働きだしてからは年収は新卒時よりも低いくらい。相対的貧困にはなりませんが、中央値には圧倒的に及びません。

貧困に陥るまでの”ぬるぬるとした下り坂”

さて、本題にうつります。

本作の主人公「愛」は”一見普通”の四大卒の20代女性。

 

就職にうまくいかず派遣社員となり、数年後に正社員と言われていたのに企業の業績悪化で「派遣切り」に

 

ハローワークにて就活をするものの、正社員やその他の条件を見ているうちになかなか就職が決まらず、大晦日のある日に大きな出費となる「家(アパート)」を手放す。

 

そこから始まるネットカフェ難民生活、日雇い、出会い喫茶での仕事とそこでの新たに垣間見る人間社会

「転落 いらすとや」の画像検索結果

転落人生、というと「ある日急に坂道を転がり落ちる」ように真っ逆さまに貧困へ落ちていくようなイメージをもつかもしれませんが、こちらの本に書かれているのは

気づいたらもう戻れない場所に来てしまった

という、見えない程度の角度がついた下り坂を、ぬるぬると降りていくような感覚。「本気を出せばいつでも戻れる」「ちょっと我慢すれば大丈夫」そんな風に感じていたのに、気づいたら体力気力が削られ、判断力が鈍り、”普通”が揺らぎ、目の前の生活を乗り切るのに精いっぱいになる。

振り返ったら、最初に躓いた場所は遥か彼方。もう戻るためのはしごも無くなっている、そんな感じの生ぬるい恐ろしさを感じました。

 

正社員じゃないと

こんなにキツイ仕事は

私だったらもっと良い条件で

 

そんな、結果的に第三者から見れば「そんなに甘いことばっかり言っているから」と批判されるような箇所もところどころあります。実際貧困に落ちていった人の中にはそういう人もいるかもしれません。

けど、「貧困に今はなっていない」人の中にも、とりあえず流されて生きている、といった思考の持ち主はたくさんいるのではないでしょうか。本当に、そう考えると運です。

目に見えない「貧困女子」の現実

女性や少女の貧困を本作のテーマとして置いていますが、それには「目に見えない」理由があります。

それは、「女性性ないし少女性が商品として扱われている」という背景があります。

作中で、「日本には女性が安全に暮らせる場所が多いから」という表現がありました。

夜中の街中や居酒屋でも、ネットカフェや漫画喫茶でも、女性が一人でいたとしても身の危険はそこまでない。それが日本。それゆえに、女性が路上生活をしなくてはいけないというケースは少なく、目に見えない。

また主人公の愛は買春(ワリキリ)なしで出会い喫茶という場所で声をかけてきた男性とお茶をして謝金をもらうという生活をしていました。

 

他にも「神待ち」と称して自宅に泊めてくれる男性を待ち続ける少女も。はっきりとは描かれていませんが、もちろん”タダ”ではないのでしょう。そうやって、本来なら保護対象となるべき未成年の少女でさえ、「性的対象」として自分の体を売ることを必然的に認めなければいけない社会。

 

それゆえに、女性の貧困は見えづらいのです。

それが「自己責任」だとしたら

おそらく発達障害や軽度の知的障害がありそうな2児のシングルマザー、サチ

父親からの性的虐待を受け、家庭内に居場所がなくなり家出した良家出身のティーンエイジャー、ナギ

出会い喫茶に客として来た男性にレイプされ、妊娠の恐怖に怯えながらも動けなかった 愛

 

日本には、どんな人でも健康で文化的な最低限度の生活が送れるように、ということが保証されています。

しかし、その制度のメリットを享受するためには、煩雑な仕組みを理解し、必要な書類を作成・取り寄せることの出来る文章読解能力とコミュニケーション能力が必要です。

難しい手続きや精神状態におかれたときに、頼れる人がいるかも大切でしょう。

 

 

生活保護のひとたちは努力をしていない

ラクして生きるために体を売る女性たちが悪い

貧困家庭出身だろうが、成功してきている人はいる。要は本人の頑張り次第

 

本当にそうなのかなぁ

人間は平等ではない。それは途上国で生活をしてわかった大切なことです。

努力をするのにも必要な環境がある。支援が要る。運が要る。努力が実る人だって、その中のほんの一握りですよね。

 

努力をすることは成功すること、一人前に暮らせること、貧困から縁遠く生活出来ることの「十分条件」ではあっても「必要条件」ではない。

 

日本の大半の世帯は、平均年収を受け取れない人たちがほとんどです。一握りの勝者たちから見れば、そのような人たちはみんな敗者。

敗者が敗者を批判する仕組みで得をするのは、その一握りの勝者だけ。その連鎖から、私たちは抜け出さなければいけない。

 

最後に、作中での印象的なフレーズを紹介します。

貧困というのはお金がないことじゃない。頼れる人がいないことだ。