こんにちは、かなこ(@MinmachiBuho)です。
最近こちらの映画が公開されましたね。

私は今日本にいないため映画は見れていないので、ノベライズ版を購入してみました!
頭の中で大泉さんの名演技を妄想しつつ、速攻読了!実に読み応えのあるお話だったので、気づきや感想をまとめていきます。
「自立」という言葉の定義
自立、という言葉は聞いて、どんなイメージを抱きますか?
1 他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。「精神的に自立する」
2 支えるものがなく、そのものだけで立っていること。 -デジタル大辞泉
自分でお金を稼ぎ生計を立てる 経済的自立
成人に課される責任を全うする 社会的自立
自分一人で身の回りのことを行うことを「自立した生活」とも言いますね。
それは、重たい荷物を一生懸命抱えて立っているようなイメージです。
自立とは、「拠り所」をたくさんもっていること
出生時のトラブルから脳性麻痺となった熊谷晋一郎氏は、親元を離れて医学部に進学し自身の経験から小児科医として活躍されています。
彼はこちらの記事の中で自立という言葉の意味をこのように語っています。
“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。
チーム鹿野の絆
主人公である鹿野さんは筋ジストロフィーという進行性疾患とともに生きています。
この病気は体中の筋肉が徐々に衰えていく疾患で、進行すると寝たきりや、呼吸機能の低下により気管切開や呼吸器を使用する場合があります。
最近はOrihime関連のニュースで度々取り上げられていますね。

そんな状態なら当然、病院や医療型施設に入院しているんでしょ?
と感じる方も多いかもしれませんが、重度の障害があっても「自宅」で、かつ「親元を離れる」生活を選ぶ方々はいます(人数統計を探してみましたが見つけられませんでした。。。)
ヘルパーの支援を利用しながら生活する。そのような生き方を「自立生活」と呼んでいます。鹿野さんが選んでいる生き方もまさにコレです。実在した彼はまさに近日患者のなかで自立生活をする人の先駆けだったようです。

寝たきりで呼吸器も使いながら一人暮らしなんて危険すぎるでしょ!
何かあったらどうするの?病院にいれば安全なのに
自立生活を営んでいる方が周囲にいない人の感想は、このようなものが多いのではないでしょうか。
障害者の自立生活を支援する全国自立生活センター協議会は、自立生活の意味をこのように表現しています。
自立生活とは、危険を冒す権利と決定したことに責任を負える人生の主体者であることを周りの人たちが認めること。また、哀れみではなく福祉サービスの雇用者・消費者として援助を受けて生きていく権利を認めていくことです。―全国自立生活センター協議会HPより―
確かに病院にいれば”安全”ですが、そこに”自由”はありません。命が助かっているのだからそれでいい。もしそれが自分の身に起きていることだとしたらどう感じるでしょうか。
食べたいものを食べたいときに食べる。好きなところへ気分転換に行く。会いたい人と好きなだけ見つめあう。そんな自由がない”安全”を、本人が望んでいないのだとしたら。
自立生活は、決して「誰かに責任を押し付けるわがまま」ではありません。
作中では「鹿野さんのわがままは”命がけ”だ」と表現される部分があります。危険を冒すことすら、重要な権利なんです。
夜更けにバナナを食べるのも、ワガママ?
親の庇護下から離れるということ
作中では、鹿野さんの母親は時々鹿野宅を訪れて、ヘルパーたちに食事を配るなどして、すぐに帰宅します。事情をよく知らない人は「家族は、母親は一体何をしているんだろう?」と不思議に思うかもしれませんが、障害者にとって”親の庇護下”から抜け出すということは、自立することに非常に大きな影響をもっています。
親子関係というのは子どもが成長するに従って距離が大きくなるのが通常です。反抗期等を通じて精神的・経済的に自立に向かっていき、親もそれを受け入れていきます。
しかし、障害がある若者の場合はその過程を踏むことが出来ません。「世話をする側とされる側」といった一方的な上下関係へと向かう恐れもある。親が子どもの全てを抱え込んでしまうかもしれない。その結果介護負担で命を奪うような形になったり、親自身が体や心を壊すかもしれない。それならば、親の負担軽減のために施設に閉じ込めよう!そんな流れが加速していくかもしれない。
脳性麻痺を有する障害者を中心に結成された青い芝の会は、このような親の支配的(献身的)な愛を否定することこそが本人の自立につながると主張していました。
親とずっと一緒にいると、障害のある子はいつまでも「自立」出来ない。
それだけ、親の愛は偉大。一緒にいれば、誰だって甘えたくなる。・自分のことを自分で決める能力
・要求を適切に人に伝える能力何でもわかってくれる家族だからこそ、いつか離れなくちゃいけない。
— なかむらかなこ@オンライン子育て相談始めました (@MinmachiBuho) January 27, 2019
消費者になる意味
自立をする、ということは「サービスを利用」したり「消費したり」、自らの意思の下で可能になるということです。経済的な活動に参画するということは、成人の欲求のひとつです。
さらに、前述したOrihimeのような遠隔ワークが一般化すれば、就業することも出来ます。そうすれば、彼らは消費だけでなく生産・納税することも可能になるかもしれません。
自立する、働いて収入を得ることは「消費者」になること。
社会福祉サービスの「雇用者」になること。人口が減る・AIが生産手段になるこれからは、
いかに「消費者」を増やすかが重要。高齢者や障害者、いままでサービスを”受ける”側だった人たちを、消費者にすることは社会全体のメリットになる。
— なかむらかなこ@オンライン子育て相談始めました (@MinmachiBuho) January 27, 2019
作中では鹿野さんはボランティアでヘルパーを集め(当時はヘルパーの制度がなかったようです)、彼らに介護の方法を指導する”先生”となっていたそうです。
賃金こそ発生しないものの、彼は立派な「サービスを選択して消費する」側であり、かつ指導を通して生産活動にも携わっていたと考えられます。
重度障害とファミリー
例えば、生まれつきの疾患などで重度心身障害児と呼ばれる子どもたちがいます。寝たきりであったり、気管切開や経管栄養などの医療的ケアを必要とする子たちです。
彼らの場合は成長したときに、必ずしも自立生活がベターな選択だとは言い切れないかもしれません。それだけ、ケアが重度だからです。
その場合は「自立」をどのように捉えたら良いのでしょう。
そのヒントも、熊谷医師の言葉にあると思います。
特に複雑な医療ケアを有するお子さんの場合、親御さんがメインの看護者になるため、たとえプロだとしても看護師や医師・介護士のケアが不十分だったり、子どもが受け付けなかったりする場合もある。
親御さんが体を壊すまで育児・ケアに奮闘する…そんなケースも度々見かけます。
そのような状況にならないためにも、頼り先、「ファミリー」を増やすことは子どものため、親御さんのため、ひいては社会のためにもなると考えます。
- レスパイト先の機関
- 気軽に立ち寄れる公共施設
- 一緒に楽しい時間を過ごせる地域の友人
そんな人たちを少しでも多くつくることが、重度の障害をもつお子さんに必要なんです。
まとめ
今回は、「こんな夜更けにバナナかよ」のストーリーに合わせて、障害者の自立・自立生活について紹介してきました。
少しでも興味がわいた方は、是非書籍を手に取ってみてください!
こちらは映画の元になった原作版です。近いうちにこちらも読みたい!
参考文献