こんにちは、かなこ(@MinmachiBuho)です。
ユニバーサルデザイン、バリアフリー、インクルージョン…
最近は福祉の業界にも横文字言葉が並び、「なんかわかったような気にさせられる感」が非常にあふれるようになってきましたね。
今回ご紹介するこちらの本では、マイクロソフトやGoogleで”インクルーシブデザイン”について実践を重ねてきたデザイナーさんが、インクルーシブデザインの定義と意義についてとても明確に解説されています。
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私自身、読んでいて非常に勉強になったので、備忘録として概要をまとめていきます。

デザインに興味がある人も、ない人にもオススメ!
インクルージョンが何か?それに1つの答えはない
あなたはインクルージョンという言葉を聞いて、どのような状態をイメージしますか?
「マイノリティーの人たちが暮らしやすい社会」「みんなが同じ環境の中で生活する社会」
実は、この言葉の定義はあいまいです。
しかも、インクルージョン=絶対正義とすら、言い切れないのが実情です。
その上で、本書ではインクルージョンがない状態を以下のように定義しています。
インクルージョンがない状態=排除がない状態
人種や障害、性別や社会的属性によって、集団から排除される人がいない状態をつくるのがインクルーシブデザインということなんですね。
インクルーシブデザインの3原則を本書から抜粋します。
1. 排除がない状態
2. 多様性から学ぶ
3. ひとりのために解決し、それを大勢に拡張する

わかるようなわかんないような

それな
無機物に排除される痛み
人間は
【誰かに拒否される】よりも
【モノやコトに排除される】ほうが傷つくらしい。
段差に阻まれるとき、使いやすいはずの製品がうまく使えないとき、見えない"社会"に丸ごと否定されているような感覚になる。確かにそうかも。
— なかむらかなこ (@MinmachiBuho) May 29, 2019
あなたは3人でキャッチボールをしていました。その中で自分以外の2人が自分をのけ者にしてキャッチボールをし始めたとしたら、どう感じますか?
ゲームの中で、同様に2名のプレイヤーと一緒にキャッチボールをします。突然、2名のプレイヤーが自分を無視しはじめました。そしてゲーム終了後、実はその2名は人間が操縦しているのではなく、ゲーム自体のシステムで意図的に被験者を無視をしていた、と知らされるようになっています。
すると興味深いことに、システムに無視されていたと知った場合の方が、人間に無視されるよりも精神的なストレスが大きいということがわかったそうです。
これはゲームだけでなく我々の実生活においても同様のことが言えると考えられます。行政のシステムにはじかれてしまう医ケア児のお子さんや、公共機関に出入りが出来ない身体障害者や視覚障害者などのひとたち。
「見えない”社会”全体に拒否されている」というような感覚を抱きやすいということです。
排除の習慣とは

そんなこと言っても、私自身は差別的な言動はとらないし、
そもそも既に排除するような仕組みになっているサービスを、私が変えられるわけでもないし…
すでに存在する排除が、排除を「当たり前」にし、それがさらに排除を助長する…これを”排除の習慣”といいます。
「これはこういうものだから、〇〇な人には向いてない」
「これが出来ない人には、〇〇をする資格がない」
日常生活でも、そんな言い回しを聞いたことがあるかもしれません。もちろん障害者に対してのみではないのですが、システムや物の仕組み、使い方に制限があること自体が、そのユーザーから「はみ出した人たち」への排除的な感情を助長する、というものです。
子ども同士であっても同様です。例えば滑り台で遊んでいる子たちの中にひとり車椅子の子が仲間に入れてと声をかけたらどうなるでしょうか。
物理的なバリアーがいつの間にか、「心のバリアー」に繋がってしまうということです。
ユニバーサルデザイン?インクルーシブデザイン?

排除の概念はわかったけど、インクルーシブとかユニバーサルデザインとか、
カタカナばっかりでわかりにくいのよね
いや、私もそう思います。
こちらの本では下記の概念をわかりやすく定義していたので、簡単にまとめていきます。必ずしもコレが正解というワケではないと思いますが、頭の整理のためにどうぞ。
- アクセシビリティ:すべての人が利用できる、という最初のステップ
- ユニバーサルデザイン:デザインに着目した用語。誰でも使いやすい、操作性が良い、パっと見やすい、など”完成した”デザインの特性に重点を置いている表現
- インクルーシブデザイン:”誰か”が抱えるミスマッチを解決するデザインに行きつく”過程”を重視している表現。その過程にミスマッチに悩む本人が参画していることが重要。
つまり、ユニバーサルデザインは全ての人にとって”同様に使いやすい”ものである一方、インクルーシブデザインは個別性・多様性があり、誰にでも使いやすいとは限らない、ということ。
インクルーシブデザインでは、”仕上がったデザイン”よりも、そのデザインをつくっていく過程を重視しているということです。
”普通のひと”なんて存在しない理由
”普通”というのはどういう状態だと思いますか?あらゆるものの平均値をとればそれは大多数の人に当てはまる”普通”になるのでしょうか?
こちらの本では戦闘機のコクピットデザインを例にとり、”普通”が存在しない理由を説明しています。
あるコックピットの設計を行う際に、操縦者の体格を数千単位で測定し、その平均値を参考にサイズを決定したそうです。これはつまり、多くの人にとってほぼピッタリのサイズであると考えられるためなのですが、実際にはこの戦闘機での事故が多発したとのこと。
それは、”平均サイズからの少しのズレ”によって、操縦者がみんな少しずつ無理をしたことが原因であったと判明した、と本には記載してありました。
平均値であればみんなに適応するだろうと考えたものの、完全なる「平均人」は存在しなかった、ということがこの話からわかります。
2割の意見は無視するべき?
8:2の法則、パレートの法則などと言いますが、世の中の多くのことは8:2の割合でわかれるというものです。
これをインクルーシブデザインの話に当てはめると、「だいたい平均に近いデザインにすれば、8割の顧客をカバーできる」と言い換えることが出来ます。WHOによると障害者の割合は15%前後と言われていますので、約2割前後の顧客は平均のデザインからは排除されているといえます。

平均的なデザインで8割がカバーできるなら、それが効率的なんじゃないの?
これは先ほどの戦闘機の例からでもいえることですが、大きな2つの間違いを含んでいます。
- 完全なる「平均人」はいない
- 誰しも恒常的・一時的・状況に応じてデザインに排除されうる
ということです。
ペルソナ・スペクトルとは
たとえば、「電車とホーム間のすきま」によって排除されるのはどのような場合でしょうか
- 恒常的:下半身の運動障害、車いす利用者など
- 一時的:高齢により、足の骨折により
生まれつきの病気等で車椅子を利用している人はもちろん、加齢、足のケガ等によりホームから電車に移るのに苦労をしいられる可能性は誰にでもありますよね。
ただそれだけでなく、
- 状況により:ヒールを履いている人、ベビーカーを押している人、雨が降っていてすべりやすい場所にいる人等
といった、場合により誰しもが「ちょっと困る」という状況に陥る可能性があるんです。そう考えると、2割の人が直面し、排除されている「障害」が、意外と色んな人に影響を及ぼしていることがわかります。
これはつまり、2割の中の一人一人に焦点を当てることによって、そのソリューションが多くの人に裨益していく可能性が大いにあることを示しています。
まとめ
一人ひとりの課題に向き合い、プロセスに参加を促す「インクルーシブデザイン」は、効率化や生産性といった、今までの経済社会で重要視されていたものからは離れているかもしれません。
しかし、高齢化や障害の多様化、テクノロジーの進化と煩雑化によって、今までよりさらに多くの人が「排除の習慣」のために社会参加を困難にされる可能性があります。
その中で、完全なる”平均人”は存在しないということ、「インクルーシブデザイン」が一周回って多くの人に裨益するということが多くの人に”当たり前の概念”として伝わっていくことが今求められているのだと思います。