こんにちは、かなこ(@MinmachiBuho)です。
私は今「障害学」を学ぶためにイギリスのリーズ大学に留学中ですが、ともに学ぶメンバーの中には障害当事者も多く含まれています。
障害者としての彼ら/彼女らの経験から学ぶことはたくさんあり、今までの理学療法士-患者といった関係性ではわからなかったことを日々得ています。
その中で、今回新たな概念を学ぶことが出来たのでご紹介します。それは、見えない差別についてです。

見えない差別?それっていったい何のこと?

意図的ではなく、むしろ言っている方は「良い事」として行っていることもあるくらい自覚がない差別で、
アイデンティティをガタガタ揺さぶられるような「暴力」のことだよ。されている側も気づいていない場合もある。
この見えない差別をマイクロアグレッション(Microaggression=小さな攻撃)といいます。マイクロアグレッションは、どこにでも誰にでも起きうることなのですが、今回は「障害者に対するマイクロアグレッション」について解説していきます。
障害者あるある?よく起こるマイクロアグレッション5選
では、今回は障害者なら一度は言われていると思われる、よく見られるマイクロアグレッションについて取り上げていきます。もしかしたら、私たちもつい口に出しているかもしれません。振り返ってみましょう。
①「私には出来ない」「あなたは選ばれている」という神格化
心身に障害を持つということは、とりたてて逸脱したことではありません。特に現代日本のような高齢社会では、多くの人が身体機能や認知機能が低下していき、今まで出来ていたことが出来なくなる、ということが当たり前に起きていきます。
一方、障害という概念は社会の中で二極化して捉えられています。つまり、「悲劇のヒロイン・ヒーローのような(もしくはピュアな天使のような)尊い存在である」もしくは「怪物のように恐ろしい、タブーのような存在である」という、両極端な捉え方がされているのが現状です。
その中で、「ヒロイン・ヒーロー」の側面が現れているのがこの言葉。
- 「神さまは乗り越えられる人にしか困難を与えない。あなたは選ばれた」と障害当事者に言ったり
- 「あなたはすごい。私にはとても出来ない」と、必死に障害児を育てているご家族に言ったり…
という例があるあるです。
②「障害なの?見えないね」「普通に見えるよ」という矮小化
障害といえば車椅子!杖!といった、目に見えてわかるような状態がパっと思い浮かぶかもしれません。ですが実際は障害の中には目には見えづらいものも多々あります。内臓に疾患があったり、ある一定の状況に置かれないと症状が現われなかったり…
それでも、本人が困っている・つらいと感じているから「障害」なんです。それを他人が一目見て
「そうは見えない」
ということは、「当事者の困っている状況に対しての軽視・矮小化」以外に他なりません。しかも、目に見える見えないにかかわらず、心身に障害があることで社会的な制限・抑圧を受けているんです。それを他人に評価する権限はありません。それ、褒め言葉じゃないんですよ。
③「いつか治るよ」「早く治るといいね」という軽視と”正常神話”
これは、特に疾患やケガを発症・受傷した直後、もしくは障害児の幼少期などに言われることが多い言葉のひとつです。
当事者の抱えている症状が「治るもの」なのかどうかは、本人が一番わかっています。そのために努力したり、治療を受けたりしているんですから。それでも、一部の症状については現代医療では治せないものもあるんです。それを「いつか治る」といった一言で励まそうなんて到底無理な話なんです。
さらにこの言葉にはもうひとつ差別が隠れています。それは
正常であることが何よりも尊く、重要である
という「正常神話」の押し付けです。”正常”という概念は文化が形づくっている非常にぼんやりとしたものです。国や時代が変われば大きく転換してしまうような、そんな脆いものです。もちろん、個人がこの思想を重要視すること自体は問題ありませんが、それを「正常とは何か?障害とは何か?」を誰よりも考えている当事者に軽々しく押し付けてはいけません。それは暴力になります。
④大人なのに子ども扱い
例えば女性服売り場に車椅子に乗った女性が、男性と一緒に入って行ったとします。服を購入したいのに、店員さんはなぜか女性ではなく連れの男性に話しかけている、女性服売り場なのに…といったことが度々起きるそうです。
これは
障害者=庇護者である(決定権がない)=購入するのは男性(連れの非障害者)である
という構図の現れといえます。簡単にいうと、「障害者に対する子ども扱い」です。
障害者に対して敬意のない言葉遣いや慣れ慣れしい関わり方をするのも同様に、その人の人権を貶めている行為に他なりません。
⑤「障害=かわいそうに」という決めつけと憐憫のターゲット化
「心身の機能に障害があること」と、「不幸であること」はイコールではありません。社会の構造や物理的な障壁によって、心身の機能障害は「不便の多い障害」に変わるからです。つまり、障害は社会が作っているのです(詳しくは「障害の社会モデル」の記事をご覧ください)。

障害者に対し「かわいそう」ということは、そのような社会との相互作用や、その人の生き方、人権など色々なことを無視して「苦痛が多い」という側面のみを強調し人間から切り離してしまうような行為です。言っている方はそんな重要なつもりではなく、”自らの息抜き”程度のつもりかもしれませんが…
そもそも、「かわいそう」と言われて喜ぶ人はいないと思うんですよ。自らのガス抜きのために、人の権利を貶めるのはやめましょう。
まとめ
ここまで読んでいただいている時点で、あなたは人権意識が非常に高い方かと思います。ですが、私も含めて誰にでも人を傷つけてしまう可能性はあるんです。気を付けていても。なので、一緒に学び続けていきましょう。
また、傷つけられた側も「それが暴力である」ということには気づかずモヤモヤしている場合もあると思います。それ、マイクロアグレッションです。傷ついていいし、怒ってもいいんです。その暴力を受けているのは、あなただけではありませんから。
参考サイト
