こんにちは、かなこ(@MinmachiBuho)です。
普段テレビドラマや映画を見ていて、そこに障害者は出てきますか?
そもそも障害者という役柄が「主人公のクラスメイト」など、自然とストーリーに登場してくることはほとんどないのではないでしょうか(主人公が突然の事故で!系のストーリーを除く)

かつこちらの記事でも取り上げられているように、障害者の役であっても実際は非障害者の俳優が演じている…そんな場合がとても多いようです。これは日本だけに限った問題でなく、世界中で同様の傾向になっています。
このような状態を改善し、メディアにおける多様性を向上させることが、誰もが暮らしやすい社会をつくるためにとても重要なんです!

なぜメディアに障害者が出てくることが重要なのか?
また、「障害者メディア取り上げ方あるある」についてもご紹介していきます!某2〇時間テレビについても取り上げます
メディアに障害が出てくるメリット
テレビや映画などのメディア、と前述しましたが、子どもにおいて影響が大きいメディアのひとつに本(絵本含む)がありますね。しかし絵本に障害がある子どもが出てくることは、ほとんどないかと思います。
ですが、本の中に障害者が出てくることによって多くのメリットがあるといわれているんですよ。例えば
- 社会における多様性を学ぶことが出来る
- 障害や違いに対するポジティブな考え方を身に着けることが出来る
- 障害当事者においても、クラスの(だけでなくコミュニティにおいても)一員として受け入れられているというポジティブな自己イメージを持つことが出来る
などの効果が期待されています。
非障害者である子どもたちにとっては、多様性を自然と学ぶことが出来、障害者に対するイメージだけでなく「人と違うこと」そのものに対する意識にも影響すると考えられています。また、障害当事者である子どもたちも、自分たちはそこにいていいんだ、と感じることが出来る大きな機会になります。

ということは、逆に物語にまったく障害者が出てこない場合には
障害当事者の子どもたちは肩身が狭い思いをしているってことね
障害の描かれ方ー5つのステレオタイプー
国連の障害者の権利条約、というのを知っていますか?障害者の権利のためにこれを守りましょう!という条文が記載されているもので、日本は2007年に署名、2014年に批准しています。
その中の第8条に、このような条文があります。一緒に確認してみましょう。
あらゆる活動分野における障害者に関する定型化された観念、偏見及び有害な慣行(性及び年齢に基づくものを含む。)と戦うこと。
つまり、障害者に対するステレオタイプや偏見を減らしましょう、ということです。もちろんメディアにおいても同様です。
とわいうものの、そもそも障害ってメディアの中でどのように描かれているでしょう?分かりやすいメジャーなものを5つ挙げてみました。
- チャリティーイメージ
- 悲劇の主人公
- 悪者
- 「障害は個性」
- 感動ポルノ
ピンとくるもの、こないものがあるでしょうか?一つずつ簡単に見ていきましょう!
①チャリティーイメージ
これは、基本的にはチャリティー団体等で用いられていた(もしくは現在もいる)表現方法です。最近ではあまりメジャーじゃなくなっているかと思いますが、「貧困 途上国 寄付」などで検索したときに暗ーい写真に泣いているガリガリに痩せた子どもたち…みたいな写真見たことありませんか?
支援団体の活動を継続するために、オーディエンスの「可哀そう…辛そう…何かしてあげたい…」という同情心を誘っているのがこのチャリティーイメージです。
↑の写真についても、あえて車椅子の少年に冒険に関する本を持たせたり、金髪の女子にわかりやすく装具をはかせ募金箱を持たせるような演出をしています。
②悲劇の主人公
こちらは別名「悲劇モデル」とも言い、①のチャリティーイメージと根本的にはつながっています(可哀そう=支援されるべき存在)。
集金(チャリティー)を目的とした以外にも、障害や病気を抱えた人=可哀そう、という描き方をすることがあるんです。そう、キャラを肉付けするためです(1リットルの涙の場合は実話をもとにしていますが、もしドラマが病気を扱ったものでなかったら、あんなに話題にはならなかったでしょう※ちなみに私も毎週見てました。泣いてました)
海外作品で言えばコチラ、「世界一キライなあなたに」です。これもとにかく泣けますが、「障害を描く」という観点からいうと私は批判的な立場です。
そもそも身体や精神に障害をもつということと、「不幸である」ということはイコールではありません。社会からの抑圧が「身体が動かないことは価値がない=不幸であり、避けるべきこと=そうなってしまったら可哀そう」という構造を成立させているんです。
※作品自体を否定しているのではなく「障害や疾患の使い方」の話をしています。
悪者のイメージ
映画やアニメの敵キャラって、手足が一本なかったり顔に傷があったり眼帯をつけていたりしませんか?
ピーターパンのフック船長も義手ですよね。そう、あのフックは義手です。障害者を悪として描写しているのではなく、その見た目の違いを「恐ろしさ、よくわからなさ」という切り取り方をし、悪の概念の中に内包してしまっているんです。
どのイメージでも同様ですが、この描写の仕方もやっかいなことに我々に「悪役を障害者として描いている」という自覚がありません。このような描写に繰り返し触れることで、「見た目の異なる障害=なんか怖い」というような価値観の再生産につながっていきます。
「障害は個性」

少し前にこちらのポスターが炎上騒動で話題になりましたね。なんでこの表現方法がいけなかったのか、それは「障害の矮小化」をしてしまったからなんです。
障害者一人ひとり、もちろん色んな側面があります。障害はその一部に過ぎず、たくさんのポジティブな点がある。その考え方自体は間違ってはいないのですが、ポジティブな側面のみに着目し、
「悪い事ではない」
「違いはあるけれどそれは個性」
というイメージだけを伝えることで、障害者であることによって直面している社会的な抑圧や差別を無視・矮小化してしまっています。
こちらのポスターも、インタビュー全文を読めばまったく違った印象を受けるものですし(そもそもパラ競技の中ではみんなが障害者ですので、確かに障害があるというのは競技の勝ち負けという点では言い訳にはならない)、個人が自分自身に対して鼓舞するために言うのであれば私は問題にならないと思っています。
しかし、こちらのポスターの作成者は東京都、行政です。行政というのは「障害者が差別を被らないようにする責任」を担っている機関です。障害者の権利条約に批准している以上そうしなければいけない義務があります。その機関が使う表現方法として、私は適切ではないと考えます。
まぁでも、耳障りが良いのでよく使われるんです。このような表現も。
感動ポルノ
この言葉、最近よく耳にするようになりましたよね。ちなみに英語ではInspiration pornと呼ばれています。ほぼ日本語と同義です。そう、2〇時間テレビを揶揄するときによく使うアレです。
- 障害に負けず明るく努力
- 障害を乗り越える姿に感動
- 見ている方が勇気づけられる障害者のダンス
とかいうやつです。まぁ、みんなに好かれる理由もなんとなくわかります。そうです、耳障りが良いからです。
もう一度障害の定義に戻りましょう。障害というのは「機能障害をもった個人に対し、社会が適切な環境を提供していないことによって生じるもの」です。
https://minnanomachibuho.com/2019/10/13/socialmodelofdisability1/
だとすると、その障害を作っている「体制側」が、障害者が努力をしてそれを乗り越えようとしているところを見ているという、なんだか気味の悪い構図になっているということが分かります。
こちらは障害活動家であるステラさんのTEDトークです。興味のある方は是非ごらんになってみてください。
タイトルが非常に印象的です。「私は感動させるためにいるんじゃないのよ、ごめん遊ばせ」的な感じでしょうか。
まとめ
さて、以上障害者の描かれ方あるある5つを紹介してきました。どうでしょう、見たことあるものばかりだったでしょうか?
これらのステレオタイプの問題点は、いずれの場合にも障害や病気によりキャラクターを「可哀そう(恐ろしい)」か「素晴らしい」かの二極化させることが目的ということです。そこに、ニュートラルな人間の姿はありませんよね。
”人間”として描かれない限り、その描写に触れるたびに価値観は再生産されていき、障害者は「浮世離れ」した存在であり続けます。