【ディズニーマニアが徹底考察】ディズニー映画における「障害」の描かれ方とその変遷

インクルーシブ

こんにちは、かなこ(@MinmachiBuho)です。

前回の記事から引き続き、メディアにおける障害の扱われ方を取り上げていきます。

【感動ポルノ?多様性理解?】メディアにおける障害の「描かれ方」
こんにちは、かなこ(@MinmachiBuho)です。 普段テレビドラマや映画を見ていて、そこに障害者は出てきますか? そもそも障害者という役柄が「主人公のクラスメイト」など、自然とストーリーに登場してくることはほとんど...

 

↑の記事にて、メディアにおける障害のステレオタイプは大きくわけて

  • チャリティーイメージ
  • 悲劇の主人公
  • 悪者
  • 「障害は個性」
  • 感動ポルノ

の5つが挙げられるという風に解説しました。

今回は、では実際に物語の中で障害がどのように使われているか?を有名なディズニー映画を例に挙げて説明していきます。

 

なかむら
かなこ

ディズニー大好きな筆者があえて批判的にディズニー映画を解説していきますよ

「障害」の使われ方

そもそも障害の使われ方とは?という点についてですが、物語の中では「障害そのもの」が直接描かれているようなケースだけでなく、メタファーとして物語の中に隠れていることが多くあります。

何のためにそんなことをするの?

多くの場合は、物語をより面白くするために、おそらく障害差別なんて意図はまったくなく描かれていると考えられます。

ハッピーエンドの演出として

「美女と野獣 いらすとや」の画像検索結果

例えば最近エマワトソン主演で実写化もされた名作「美女と野獣」を例に挙げて解説していきます。このストーリーでは物語の最後に醜い、通常と異なる外見になってしまうという”呪い”が解け、感動のハッピーエンドを迎えますね。

このストーリーの中では見た目が大きく異なること=いけないこと、治すべき対象であるという前提条件が存在しています。これがいわば、障害のメタファーと言えると考えられます。

見た目が大きく異なる状態から、最後に感動的な回復がなされる。これが物語の中でスパイスとして作用しています。

 

日本の昔話で言えば、一寸法師などでもこのようなメタファーが見られます。一寸法師は小さく生まれたことに負けずに冒険をし敵を退治しますが、最終的には魔法の力(治療)によって「通常の人間の姿」になりハッピーエンドを迎えるというお話ですね。

身体のサイズが異なるという障害は、主人公の人格を厚くし、試練として物語を色付けするために用意されています。それと同時にハッピーエンドに”通常の姿”となることから、「異なることよりも、最終的に普通の人間の姿になることが正しい」という印象を与えてしまうものです。

 

このような使われ方は、リトルマーメイドでも同様です。

「人魚姫 いらすとや」の画像検索結果

教訓的存在

「ピノキオ いらすとや」の画像検索結果

主な読者・視聴者である子どもたちに対し、悪いことをするとこうなるよ、という役割として利用されるパターンです。これはディズニー映画の中で言うとピノキオで見られます。

ストーリーの中では、ピノキオは嘘をつくと鼻が伸びる魔法をかけられます。また約束を守らないいたづらっこたちが徐々に動物の姿に変えられてしまう、というシーンもありましたね。身体の見た目が変わってしまうことは恐ろしいこと、という前提条件が見られます。

さらに、身体の形が異なることは「悪いことをしたバツ」というメタファーとして、次の世代に積極的に伝えていってしまってもいるわけです。

 

ハンデを背負わせてより面白く

登場キャラクターや物語自体を肉付けする役割として障害が使われる場合もあります。例えばダンボは、耳が他の象よりも大きい”奇形”として生まれます。それによって周囲の象に避けられ、いじめられ、サーカスのショーの中でも道化のような扱いを受けてしまいますね。

障害がある=可哀そう、という描き方をすることで、読者・視聴者の感情移入を誘う働きがあります。

さらにストーリーの中でダンボは大きな耳というハンデを”乗り越えて”、それを”個性”として利用することで、空を飛べる能力を発揮し、スーパースターになっていきます。

これは色んなところで言及される理論ですね。「違いによるハンデは乗り越えられるし、乗り越えるべきもの」、そしてその努力は本人にゆだねられており、手放しで称賛されています(イギリスではこれをSuper cripple理論(超障害者)といいます)。

 

最近の作品では変化も

数々の名作を批判してきましたが、最近の作品ではディズニーも非常にポリティカルコレクトネスを重視しているようです。例えば最近第2弾が公開されましたアナと雪の女王がその一つです。

エルサは生まれつき恐ろしい魔法の能力を備えており、親によって外界から隔離されて育ちます。このエルサの魔法の能力は障害のメタファーであると考えるのは割と簡単なのではないでしょうか。今まで説明してきたような障害の使われ方では、ラストシーンで魔法の力がなくなり、”通常”に戻る、というのがセオリーですが、このアナ雪では皆さんご存知のように、エルサは魔法の力を失うのではなく、周囲の人間の理解と愛によりそれをコントロールすることが出来るようになります。

違いを修正し、通常になる→違いを認め合い、尊重し合うという大きな変化がみられるようになりました。

 

このような方針の変化は、おそらく偶然の産物ではなくディズニーが総力を結集して意図的に行っているものだと考えられます。世界中の子どもたちに繰り返し繰り返し見られる作品だからこそ、子どもたちの意識に働きかけるという意味で非常に重要です。

(ちなみにもう一人の主人公であるアナの方に、あえてADHD的な言動をさせているところにも何か意味があるのではないかと感じています。これは分析出来ていませんが…)

まとめ

今回はあえて大好きな作品たちを例に挙げながら、メディア、特に子ども向けの物語の中における「障害の使われ方」を取り上げてみました。

我々も気づかない間に、実は障害や”異なること”に対しての偏見を次の世代へ再生産してしまっているかもしれません。制作側の意識だけではなく、我々消費者も意識していきたいことです。