こんにちは、かなこ(@MinmachiBuho)です。
前回、優生思想について取り上げました。

今回は、優生思想と少し似ていますが、また違ったひとつの考え方をご紹介していきます。
こちら、【エイブリズム(Aibleism)】です。
日本語訳を見てみたところ、「健常主義」であったり、「非障害者優先主義」だったりと言った説明がついており、コレ!といった単語はまだ定着していないようです。もうここはジェンダーなどと同じ感覚でエイブリズムと覚えて頂けたら良いかと思います。

エイブリズム?初めて聞いたけど、これってどういう意味なの?

これは実は、今我々の社会にはびこっている色々な差別の根源ともいえるような考え方のひとつなんだよ。
エイブリズムとは:能力によって人の”価値”を判断すること
先ほど、エイブリズムは「非障害者主義」「健常主義」といった訳語が付くことが多いといいましたが、私が今回その訳語を使わない理由が、エイブリズム自体の考え方から来ています。
エイブリズムとは、一定の能力がその他の能力に比べより優れているという評価軸を基に、人間の価値を決めていく思想です。ちょっと分かりづらいですね?例えば、
- 100マス計算を速く行うことが何よりも素晴らしい
- よって、より100マス計算が速く行えるひとほど偉い
- なので、100マス計算が遅い、出来ない人間には価値がない
というような思考過程になります。この評価軸の中では、
- 100マス計算は遅いけれど、より複雑な計算を根気強い行い、新たな発見をしていくことが出来る者
- 100マス計算は苦手だけれど、豊かな発想力でイノベーションに繋がるアイディアをもっている者
- 100マス計算は出来ないけれど、明るい笑顔でみんなを励ますことが出来る者
は評価されません、ということです。評価されないというのは褒められない、ということではなく、社会の一員として認められないということです。職が得られなかったり、得ても昇進できなかったり、友人やパートナーを見つけるのに障壁になったり、時代によっては虐待・殺されることだってありますね。もしあなたが100マス計算が比較的苦手であれば、今すぐ逃げ出すべき社会です。

100マス計算が出来ないくらいでそんなに差別されて、認められないなんて…
そもそもその人の得意なことは千差万別だし、色んな能力を認めないなんて経済的にも社会的にも損失なのでは?
そうそう、100マス計算で言うとよくわかりますよね、この思想が明らかに偏っていることが。では100マス計算をこのように言い換えたらどうでしょう?
- より効率的に、速く業務をこなせることが何よりも素晴らしい
- より長時間労働を行い、資産を生み出すことが何よりも素晴らしい
- より柔軟に、会社の求めることに対応し、成果を出すことが何よりも素晴らしい
- より労働をし、より富を持つことが何よりも素晴らしい
- よって、より富を多つ持つひとほど偉い
- なので、労働が出来ず、資産を生み出すことが出来ない人間には価値がない
…なんだかキナ臭くなってきました。労働力のみを評価軸とし、それによって命の選別を行っていた政権がかつてありました。ナチス・ドイツです。
現代社会で【有用な能力】として認められているものに認知能力・競争力・消費力などが挙げられます。すべて、資本主義的イデオロギーのもとで生まれてきた評価軸です。より稼ぎ!より使うものこそ正義!!SNS社会とかでもそうですよね、ホリ〇モンとか。
もしあなたがこれらの能力を持っていないor何かしらの理由(例えば障害や病気)で失ってしまったとしたら、一刻も早くそれを取り戻すような努力が求められます。医療的な治療であるとか、テクノロジーによるサポートなどです。取り戻したときは、社会の一員として認めてあげよう。もし無理なら、社会保障で助けてあげてもいいよ、最大限の努力を示したらならば。そういう感じですね。
そもそも”able”とはなんだろう
日本では障害者の対義語を健常者といいますが、私が学んでいる障害学ではNon-disabled peopleという表現をします。日本語に訳せば「非障害者」といったところでしょうか。

では、そもそもdisabledの対義語である【able】とはどういう意味があるんでしょうか。辞書をひいてみました。
うん、とすると、able to~の後に何か具体的な動詞が来て、ようやく意味を成すということですね。ところがdis/abled peopleにはその後に続く言葉が来ません。これってどういうことでしょうか?
簡単に言うと、健常である、ということの具体的な定義はないということです。
able to~の後に続く言葉、それはその時々の社会によってきめられています。現代社会では先ほど説明したように、認知能力・競争力・消費力です。つまり、Disabilityそのものを生成している思想こそが、エイブリズムといえます。
”生産性”とエイブリズム
そもそも、その特定の能力は誰によってきめられたものでしょうか?答えは簡単、その時代の社会を構成しているヒエラルキーのトップにいる人間です。資本主義の社会の中では、より多くの資産をもち、より多くの人間を働かせる人間がそのトップにいます。世界中の数%の人間たちの冨をより増産させるために都合のいい能力が、”素晴らしい”として価値づけられているのが現代社会です。

少し前に、「同性カップルには生産性がない」という議員の発言が大炎上しました。ここでいう”生産性”が大きなキーワードになります。上記で述べた都合のいい能力=生産性として表現されている、と私は考えます。
つまり、「より重労働もしくは長時間労働が出来る。更により知的能力が高い人間が素晴らしい。もちろん生物としての繁殖力があることも前提で」という条件が、生産性として権威者に使われています。これが、Able to~の後ろについてくるということです。
この評価軸によって評価されるのは
- 体力のある労働者
- 長時間労働が出来る労働者
- 知的水準が非常に高い労働者
- 繁殖力があるということを示している者
ということになります。平たく言うと、白人ヘテロセクシャル男性です。彼らが世界のヒエラルキーのトップにいます。あなたがこれらの基準から離れれば離れるほど、あなたの価値は減点方式で評価されていきます。どんな強みがあっても、多くの人に愛されていても。
とはいえ、ヘテロセクシャルの男性みんなが偉い!とされているわけではもちろんなく、社会ヒエラルキーのトップにいる人間以外は資本主義のシステムの下、持っている特定の能力やカテゴリを製品化され、”使い捨て”にされています。例えばあなたの健康さ、若さ、体力、外見の美しさ、などです。おそらくこのブログを読んでいる人はほとんどが搾取され、使い捨てにされる側です。
つまり、エイブリズムは非障害者を優先し、障害者を差別する考え方の根底にあるだけではなく、
- ジェンダーによる差別(男女間の賃金格差、再生産活動における搾取、男性の長時間労働問題など)
- セクシュアリティによる差別(LGBTQに対する差別)
- 人種差別
- 高齢者差別
など、多くの社会問題の根本となるイデオロギーといえます。
自分の中のエイブリズムに気付くこと
ここまで、エイブリズムとは何かということを説明してきました。いかにエイブリズムが社会問題を引き起こすかということが何となくわかりましたでしょうか?
ではここで質問です。あなたはエイブリズムを思想として持っていますか?当たり前のことだと思いますか?

私の答えは”YES”です
私たちはみんなエイブリズムな世界で生きている
あなたは10円玉より1000円札の方が価値があることを知っていますよね?それは、「10円よりも1000円の方が価値が高い」ということが当たり前の社会で生きてきたからです。ですが、もし10円玉と1000円札を宇宙人や北京原人に見せたとしたら、喜んで丸い形の10円玉を選ぶかもしれません。私たちと彼らの違いは「価値を同じくした社会で生きてきたかどうか」それだけです。彼らが価値が理解出来ないほど愚かというワケではありません(米ドル札になると金銭感覚が狂うのも、価値の概念を共有していないからです。散財しちゃいますよね、海外旅行)。
何が言いたいかというと、10円玉よりも1000円札の方が価値がある、というのを当たり前と感じるのと同じように、「労働力・生産性が高い人間ほど価値がある」というのも、私たちの根底に流れている考え方だということです。これは人間性の良し悪しの話ではありません。差別の当事者として苦しんでいる人だとしても、実はこの考え方を内在化していることも多いです。

じゃあ、もう差別はなくならないってこと?
何も出来ることはないの?
そうではありません。もしあなたが障害者や女性、高齢者や移民などを追い詰める差別をなくしたい!と思うのであれば、まずは自分の中にある”エイブリズム”と向き合うことから始めることが出来ます。このプロセスは、割とハードです。自分がいかに差別的であるか?と向き合う作業になります。ですが、とても重要な過程です。
エイブリズムの今後
さて、終わりにエイブリズムの今後について考えてみましょう。
先ほど、able to~の後には時代によって入る言葉が変わると説明しました。例えば現代社会であれば、ITスキルやプログラミングが必須になってきています。産業革命直後のような、いかに重労働が出来るか?という基準はロボット技術やAI技術の発展により変化してきています。よりクリエイティブな人間が評価されるようになりつつある、ということです。
さらに、医学の発展によりゲノム治療・操作という新たな技術も登場してきました。これにより、よりお金をつかってより賢く、強く、美しく、若々しくあることが、able to~の後ろについてくる可能性もあります。普通ってなんでしょうね?いよいよわからなくなってきました。

脊髄損傷に対する治療も、現実的になってきました。障害学の中では、このような治療自体は強く否定はされていません。しかしながら、Disabledからabledになるための治療なのか?それとも普通から超普通になるための「介入」なのか、そのラインは誰も明確に引けていません。
これからの社会では、体力労働よりも認知能力によるエイブリズムがメインになっていく可能性があります。技術進歩も相まってさらに競争が激しくなるリスクが高いです。そのようなDisabledとAbledの境界が不安定な社会で、私たちは生きていかなければなりません。