こんにちは、かなこ(@MinmachiBuho)です。
5G、AI…最新技術は静かに、確実に私たちの世界へ広がってきています。これらの技術により、マジョリティのためのサービスやシステムによって今まで不自由を強いられていた障害者の生活にも、変化が生じてきました。

意外かもしれませんが、障害学の観点ではテクノロジーによる障害者への効果は限定的であり、それだけではポジティブなインパクトはあまり大きくないと考えられています。今回は、最新テクノロジーの導入や更なる技術の発展によって、今後障害者をとりまく社会にどのような違いが起きるのか、考えうるメリットと懸念点についてまとめていきます。

障害の社会モデルの視点から考えると、テクノロジーの強みや課題が見えてくるよ
テクノロジーによって変わるもの①:雇用の変化
インターネットの高速化によって、自宅からのテレワークが可能になりましたね。技術的には可能であったのですが、なかなか制度的な面が追い付かずに障害者の就労は妨げられていました。
一方で、2020年現在のコロナウィルスのパンデミックにより、テレワークへの扉は大きく開いたといえます。
障害者にとっては、満員電車などの公共交通機関を利用することは非常に苦痛を強いられる可能性があります。バリアフルな駅や周辺環境、混雑によるスペース不足、精神的負荷、介助がないことによる利用の制限など…。もちろん障害者に限らず子ども連れや妊婦、高齢者や一時的に身体的ケガを負っている場合などにも言えることです。
インターネットだけでなく、VR会議などの技術によって在宅での会議参加などより選択肢が増えていくことにより、障害者の就労自体も大きく変化していくことでしょう。
テクノロジーによって変わるもの②:機能障害の軽減、機能の補助
テクノロジーによって大きく変わることは障害自体が技術によって軽減される、もしくは機能が代替されるというところと言えます。
治療技術の向上
例えば医療技術という点から考えると、今まで治療不可能とされていた機能障害や疾患が、新たな治療が生み出されることにより治療対象となっていく。ということです。例えば脊髄損傷などは、すでに実用化に向けて動いているものの一つです
治療によって機能障害が軽減し、それにより生活における不自由さ・困難さが解消していくと期待されています。
身体拡張
本来義足などの補装具は身体の欠損した(もしくは先天的に所持していない)能力を補うためのものとして利用されてきました。一方で、最近では身体拡張という概念がうまれ、一層強まってきています。
身体拡張とは、体に装着・もしくは装着していない機械が身体の機能を補完するだけでなく、新たな能力や活動を可能にすることです。これにより、身体及び感覚機能がケガや疾患等により制限されてしまったとしても、受傷時と同等さらにはそれ以上の機能を有することが出来るようになります。
テクノロジーによって生じる懸念①:Digital-Divide
前述したような最新技術は、障害の有無に関係なく我々の生活を大きく改善させる可能性を秘めています。しかしながら、テクノロジーは新たな断絶を生み出してしまう恐れもあると指摘されています。
その断絶とはDigital-Divideと呼ばれ、主にICTなどのデジタル機器を介したシステムの導入により、それらを使いこなせる人間と、出来ない人間という壁を作ってしまうということです。
例えば、何かの補助金申請をしたいというときに、今までは窓口で説明を受けながら申請手続きを出来たものが、完全オンライン化したとしたら、スマートフォンやPCの利用が苦手、もしくは所持していない人たちが弱者となってしまいます。情報が全ての鍵を握る現代では、それらを利用できないことは雇用や生活保障そのものに大きく影響しますし、このコロナの状況かでは人とコミュニケーションをとることすらかないません。

今時スマホのひとつ使えるのが当たり前だし、使えないと困るなら使えるように努力するべきだ
という意見ももしかしたら聞かれるかもしれませんが、高齢世代の方の中にはスマホが苦手で、メールを打つのがやっとという方がたくさんいます。視覚障害が発症した直後には上手に機器を使いこなすことが難しいかもしれません。スマホはまだしもタブレットやPCを所持することは結構お金がかかります。知的障害等があるのにもかかわらず診断がつかず、適切な医療福祉のサービスを受けていない人の中には、収入が少なく綱渡りの生活をしている人たちがたくさんいます。
Digital-divideは、テクノロジー偏重となることによって、機器の扱える(主に知的障害のない金銭的に余裕のある)障害者の生活を劇的に改善させる可能性がある一方で、そうではない障害者をより困難な状況に落とし込んでいくリスクがあるということを指摘しています。
テクノロジーによって生じる懸念②:差別の再生産
前述した身体拡張によって、人間には障害というものが存在しなくなるように思われるかもしれません。しかし、障害学の考え方においては障害はその人間の身体機能によって生じるものではなく、社会構造とのギャップや社会がつくりあげた”理想の人間像”から引き起こされているものです。つまり、身体拡張を行ったとしても障害を創り出すシステムは変わらず存在します。四肢の欠損がハイテク義肢によって置き換えられても、社会の中で弱者とされる誰かを差別し、断絶し続けるという現象がなくならない限りは、誰かが障害者にならざるを得ないということです。

また、貧富の差も大きく影響します。最新技術は非常に高価であることがほとんどです。つまり、富める者は機能障害を補完したり、さらなる身体機能を有する事が可能である一方、貧困層の市民はそのようなサービスが受けられません。さらに障害による社会的経済的影響が大きくなり、格差が拡大していくことも懸念されます。そうなると、貧しい≒障害者というような、経済的側面とよりネガティブに結びついたイメージが生じるおそれがあるといえるでしょう。
機械学習による差別の再生産
最近はやりのAI、機械学習についても差別の再生産が危惧されています。
AIによって、現存するあらゆるマイノリティへの差別が学習され、感情を持たず公平なはずの機械がより強い差別を行う恐れがあると指摘されているからです。
ビッグデータを解析し、解釈していく際には、このような社会的背景を理解し、修正出来る”人間”が必須になります。
まとめ:結局つくるのも使うのもニンゲンだ

結局テクノロジーって良いものなの?悪いものなの?
テクノロジー自体には良いも悪いもありません。なぜならそれを作るのも、使うのも我々人間であり、我々の行動次第で価値が決まるものだからです。
テクノロジーの発展は私たちに多くの可能性をもたらしますが、テクノロジー自体が差別を根絶することはない、と言われています。なぜなら、差別的な思想をもった人間にプログラムされた技術は、すでにマイノリティを無視し、差別を拡大する危険性を含んでいるからです。
一方で、障害者インクルーシブな技術は障害者の生活をより豊かにし、身体的精神的機能に関わらず、健やかで充実した生活を送れる手助けになるとも言えます。