こんにちは、かなこ(@MinmachiBuho)です。
私の勉強しているリーズ大学障害学コースでは、講師の多くが自身も疾患や先天性の機能障害をもった障害研究者です。

彼らをはじめ、障害学の研究者たちは現在エマンシパトリー(Emancipatory)研究というものを強く推奨し、障害者のエンパワメントを進めています。

エマ…ワトソン?それおいしいの?

エマンシパトリー研究とは、障害者自身が研究の”主役”となることで、より良い成果を出すことが出来るとされている手法だよ
エマンシパトリー研究は1990年前後から提唱されてきていますが、実際にはその実践のハードルの高さも指摘されています。今回は、一般的な研究とエマンシパトリー研究との違い、日本の当事者研究との違いについて簡単に解説していきます。
障害と研究:それは誰のため?
研究は、誰のため、何のために行われるのでしょうか?Disability studies(障害学)は、障害者もしくは近しい研究者が障害者自身のために研究を行っています。

一方で、障害学研究者の中にはこのような批判もあります。

この研究、障害者の生活を良くするためになってるの?
実は以前こんな事件がありました。
イギリスのLe Court Cheshire Home residentという障害者入所施設に、1組の研究者たちがやってきました。彼らの目的は施設におけるサービスの質の向上を図ることでした。入所者たちは全ての決定権を持つことが出来ず、様々な規制を職員たちから強いられており、研究によってこれが改善されることを期待していました。しかし実際には、研究者たちは当事者である入所者たちの声を聴くことなく、自身のキャリアアップのみを重視して(と入所者からは見えた)研究を進めていました。これに障害者たちは怒り、施設から研究者を追い出してしまいました。
この事件からわかるのは、研究者というのはその研究は誰のためになるべきものなのかを見失い、自身のために対象者を搾取する危険性があるということです。この研究者が対象者である入所者たちの声を聴き、それを尊重していたらこのような結果にはならなかったのではないでしょうか。
この研究を行っていたのはMiller と Gwynneという研究者たちです。彼らは施設の入所者たちを経済的・感情的に社会に寄生していると表現しました。それに対して、実際にその施設の入所者の一人だった障害活動家ポール・ハントはこのように言っています。
しかし、状況を客観的に検証してみると、隔離され、雇用の機会を要求する人々(障害者)が真の寄生者ではないことがわかる。本当の寄生者は、MillerやGwynneのように、他人の不幸を餌にして太る人々(専門家・研究者)である。 (1981)
痛烈…!!
ここで言われているのはつまり、障害者を経済的・社会的に排除もしくは隔離している社会構造を無視して、障害者を研究の”対象”として取り扱い、自身の手柄にすることは許さないぞ!という怒りの現われです。
では、本来の研究はどのようにあるべきなのでしょうか?あるべき姿は、障害者を抑圧する社会構造の変化を図り、障害者をエンパワメントするための研究です。それを実現するためのやり方の一つが、エマンシパトリー研究です。
エマンシパトリー研究の理念
エマンシパトリー研究とは、”解放的”研究という意味の用語です。エマンシパトリー研究を通して、障害者を抑圧する社会構造を改善し、障害者のエンパワメントを図ることがその目的であり、障害者とともに、障害者主導で行われるべきであると考えられています。

障害者は研究の対象ではなく、主体であるべきという考え方なんだよ
障害者主導で行われることで、障害者が取り除くべきと実感している社会的障壁にアプローチすることが出来るため、より適切な優先順位付けが可能になるという理論です。エマンシパトリー研究では、研究すべきトピック決めから障害者が舵を取る必要があると訴えられています。なぜなら、障害者は障害者が直面する問題のKnowerかつExpertであるからです。研究者はあくまで研究を行う上での専門的技術を提供する、というサポーターの役割を担います。障害者をインタビュー対象とし、解釈や考察は研究者が行う参加型(Participatory)研究との違いはここあります。障害者が参加するだけでは不十分ということです。
エマンシパトリー研究のワナ
理想的に聞こえるエマンシパトリー研究ですが、問題は山積しています。まず、障害者が研究を主導で行うとうこと自体のハードルが非常に高いのです。

研究を主導しろと言われても、やったこともないし、どうしたら良いのかわからないな…
そもそも、研究というのは社会的特権を有しており、専門的な響きがし近寄りがたいものです。研究者といえば、高等教育機関に所属していることも多い一方で、障害者の大半は大学・大学院等の高等教育を受けてません(参考)。そのため研究者と対等な立場として意見交換をするのが難しい場合があります。知的障害があるよう方においても、複雑な研究のプロセスは参加しづらい可能性もあるのが現状です。
さらには、障害者を抑圧する社会構造に慣れきってしまう、それを当たりまえと思っていますような状況下では、社会をこう変えたいという期待や政治的な改善という視点を障害者本人が持っていないケースもあります。また、障害者を研究者として雇うだけの金銭的キャパシティが研究者側にない場合もあります。そのような場合は障害者は自身の生活を守るためにその他の労働等を行う必要があり、研究にあまり時間が割けなくなるというリスクもあり、実際には研究者となりうる障害者を集めること自体が難しいのです。
Stone と Priestley(1996)はエマンシパトリー研究を行う上での課題を以下のようにまとめています。
- どうやって障害者に研究の主導権を渡しつつ、研究のレベルを担保するか
- 障害者側のスキルの違いにどう対応するか
- 研究者が自身の立場や役割をどう理解するか
- 障害者自身が障害の社会モデルを理解しておらず、研究者と意見が対立した場合にどうするか

研究者は、対外的にエマンシパトリー研究の重要性を強調し理解を得つつ、障害者に対して研究スキルを移譲していくことが求められます。しかし、実際に研究者はどのように振舞うべきかというのはまだ体系化されていません。
日本の当事者研究との違い
日本で障害者の障害研究というと、べてるの家で始まった当事者研究が代表的なものとして挙げられます。
当事者研究とエマンシパトリー研究の大きな違いは、研究対象をどこに置くかということです。エマンシパトリー研究では、研究対象は障害者を抑圧する社会構造そのものであり、研究を通してその改善を図ることが大きな目的です。当事者研究よりもより政治的な色が濃いと言えます。
政治的運動が非常に盛んな英米でこのエマンシパトリー研究が生まれ発展してきたのも、政治的運動を行うことへのハードルの低さが影響しているのかもしれません。
まとめ
このエマンシパトリー研究は、具体的な研究手法というよりは理念に近いものです。そのため、これに従えば良いというガイドラインはありません。専門家は自分は何のために、誰のためにこの研究や介入をやっているのか?自分自身のキャリアのためになっていないか?ということを自身に問いかけるところから、改めて始める必要があるのではないでしょうか。
参考文献
Stone, E. and Priestley, M. (1996) Parasites, pawns and partners: disability research and the role of non-disabled researchers
Barnes, C. (2003) What a Difference a Decade Makes : Reflections on doing ‘ emancipatory ’ disability research What a Difference a Decade Makes : reflections on doing ‘ emancipatory ’ disability research
Hunt, P. (1981) The Researchers Settling Accounts with the Parasite People
Goodley, D. (1991) Disability Research and the “Researcher Template”: Reflections on Grounded Subjectivity in Ethnographic Research